「そ・わ・か」の法則「き・く・あ」の実践を羅針盤とし念を入れて日々是好日

「そ・わ・か」(掃除・笑い・感謝)の法則と「き・く・あ」(競わない・比べない・争わない)の実践にて、毎日が日々是好日です。心豊かな人生を送る物の見方道を極めていきます。

明日24日は昭和の歌姫美空ひばりさんの二十七回忌です

 

昨日もレポートしたのですが、美空ひばりさんの最後の映像である

川の流れのようにを何度見ても、

今まで唄っていた歌とは違うように感じられてなりません。

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最後の映像として見るので感じることなのかもしれませんが、

自分の死期を感じ取っているような気がしてならないのです。

自分の死期がわかっていても、ただ淡々と唄っていることに感銘してしまいます。

この美空ひばりさんの淡々とした落ち着きはどこからくるのでしょうか。

 

「淡々と生きる」という著書を書いておられる方がいます。

「<小林正観さんの著書「淡々と生きる≫から抜粋しました> 

             千 利 休

新しい茶葉に60度のお湯を注ぎ、一杯目のお茶を出します。このお茶は甘い。

次に70度のお湯を注いだ二杯目は、今度は渋味がでます。

さらに10度高い80度で三杯目を出すと、今度はお茶の苦い部分がでてきます。

さらに90度以上の熱いお湯で四杯目を出すと、もう甘みも、渋味も苦味もない

色だけのお茶がでます。これが出がらしです。

 

四杯目のお茶以降はもうでがらしで、かすかに色がついているだけ。

千利休は、甘みもなく、渋味もなく、苦味もない、かすかに色がついているだけの

この四杯目以降の茶の味「淡味」と呼びました。

「淡々」とは 水が静かに揺れ動く という意味で静かに安定している状態です。

利休は、「この淡味の良さがわからない限り、お茶は永久に理解できない」

と言っています。

 

じつはこの出がらしのお茶のおいしさとは「感謝」です。

お茶を甘い、渋いと言っている間は、まだ本質がわからない。

四杯目以降の出がらしで、淡味のお茶をいかに味わえるか、どう喜びとできるのか、

つまり感謝することができるか。そこで本当のおもしろさがわかる。

 

これを人生に置き換えて言えば、朝起きて、仕事をして、帰って夕食を食べて、寝て

また翌朝が来て、また仕事をして、夕食を食べて・・・・・・・・・

という日々が繰り返される中に、人生のおもしろさや、幸せや楽しみがある。

淡々と生きて行く中にこそある。

 

「どこそこに行ったからおもしろかった」「あそこに入ったらステキだった」

などと言っている限り、本当の人生はわからない。

淡味がわからない限り、人生は永久にわからない、ということです。

 

「人生の本質は、淡味にあり」「淡々と生きる」ことです

「<小林正観さんの著書「淡々と生きる≫から抜粋しました> 

 

美空ひばりさんには、人生の本質「淡味」がわかっていたと思われます。