「そ・わ・か」の法則「き・く・あ」の実践を羅針盤とし念を入れて日々是好日

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『天皇の料理番』最終話あらすじ『秋山篤蔵の料理外交』

<前話のあらすじ>

俊子が亡くなる時のシーンは、篤蔵が横たわる俊子のそばに座っている

場面だけでしたが、それがよけいに悲しみを誘いました。

実話でも篤蔵は、先に妻を亡くしています。

 

俊子が病で倒れた時から1年。正月からまた次の正月迄。

豆まき、ひなまつり、鯉のぼり、紫陽花とカタツムリ、ひまわり、落葉、雪、

大晦日、そしてまた正月と篤蔵と俊子、そして子供たちとの姿が描かれていました。

 

俊子は自分が亡くなった後の、癇癪持ちの篤蔵の気性を心配して

腹が立ったときには、「自分だと思って欲しい」と鈴を篤蔵に託すのでした。

 
御上に献上した肉料理に肉を縛った糸が残っていた不手際があり 

 肉の糸を取り除くことを忘れて部下のために篤蔵は、責任を取ろうとします。

そんな篤蔵に御上はどんな言葉をおかけになったのでしょうか。

 

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それから時代は、支那事変、大東話戦争突入と激動の暗い時代に入っていきます。

宮中とて例外ではありませんでした。戦争に勝つまでの辛抱だと国民は堪え忍びます。

国民と同じように耐え忍ぶ宮中。料理材料の調達に苦労する篤蔵と料理人達でした。

 

そんな国民の願いもむなしく、やがて本土空襲がはじまり、

そして広島、長崎に原爆投下、ついに終戦を迎えるのでした。

玉音放送で終戦を告げられる御上。

そんな時でも「夕食何をおだしできるかの」とつぶやく篤蔵でした。

 

 

GHQが乗り込んで来て、連合国の軍事裁判によって

御上まで裁かれる可能性がでてきました。

篤蔵は上司から「たかが料理人風情が」と怒鳴りつけられても

必至になってGHQをを料理で接待し、御上を救おうとします。

 

GHQの将校から池に突き落とされて、今にも飛びかかろうとしますが、

そのとき、池に落ちた俊子のあの鈴の音が聞こえるのです。

とっさに篤蔵は鴨のマネをして、その場を乗り切ります。

親友二人も一緒になって池に飛び込み鴨のマネをしてくれました。

 

そんな篤蔵たちの姿を見てGHQの責任者は、

日本国民にとって天皇とは何かを感じ取ったのかしれません。

天皇が戦争責任を問われることはありませんでした。

天皇の料理番』秋山篤蔵の料理外交が実を結んだのでした。

 

 

   

父、兄、俊子の遺影に向かって感謝する篤蔵。

昭和47年天皇の料理番を静かに引退するのでした。

 

御上に献上した肉料理に肉を縛った糸が残っていた不手際の際

御上が篤蔵にかけた言葉は、

「糸が入っていたのは私の料理だけか。よかった」とおっしゃていたのでした。